妊娠中

帝王切開を前に思うこと【note再掲】

現在、妊娠37週。
逆子はなおらず、加えて発育不全気味で低体重。頭囲も腹囲も短い。なぜか脚だけが長い。
予定日よりも前に帝王切開の予定がストンと組まれ、既にその日まで残り2週間を切っている。

ついに手術日が決まってしまったとき、正直とてもショックだった。
母も私を帝王切開で産んだのだが、それを聞いて育ってきていてもなお、お産=経膣分娩という意識が底の方にあったと思う。
なぜかって、自然分娩=経膣分娩だから。帝王切開=異常分娩だから。そういう呼び名になっているから。
おしるしや破水や数十時間の陣痛を経て、夫に見守られながら子を産む。股の間から子が取り上げられ、胸に乗せてもらってカンガルーケアをする。その日の夜から同じ部屋で眠る。それがお産。
経膣分娩への憧れは強く、自分もそうしたいと思っていた。逆子はきっとケロッとなおるはず、そうできるはずと思っていた。

臨月まで逆子がなおらない確率は、どうやらわずかに3〜5%らしい。
原因としては、羊水量が多いとか、骨盤が狭いとか、胎盤の位置が干渉しているとか、子が大きいとか。私は羊水量と胎盤の位置に関しては問題がなく、子は小さく、骨盤の件は何も言われたことがない。もしかしたら狭いのかもしれないが、自分では割と幅のあるドッシリした骨盤だと思っている。
私の子が逆子になっている原因は、要するにわからない。なぜかこちらの方が居心地がいいのだと信じるしかない。本人に聞くわけにもいかないし。

先日、父方の祖母に「帝王切開の方が楽かしらね〜」と言われた。ひどくショックを受けた。
隣にいた母は「産むときはね〜。でも産後はしんどいんですよね」とすぐにフォローしてくれた。
きっと母も、そういった心ない言葉に傷つけられてきたのだろう。「やっぱり普通に産んであげたかったわよ」と言われたことがある。産んでもらった私はそんなことまったく気にしていなかったのに。

母は私を予定日の1ヶ月半前に産んだ。1800gの未熟児だった。しばらくNICUから出られなかったため、母は私よりも先に退院した。今の私よりもずっとずっと、自分を責めたに違いない。
でも母親って、みんなそうなんだろう。私のような情けない感情の問題でなく、もっと深刻なイレギュラーを抱えて大変な思いをしている妊婦さんはたくさんいる。
そうしてみんな、自分の胎内で育ててきたのだから、自分にすべて責任があると思ってしまう。そういうものだとわかっていても、自責の念からは逃れられない。そこが父親との違い。

今後数年、きっと私は帝王切開であったことをしばらく引きずる。
出産・育児関連の本を開けば、まずお産は経膣分娩を前提として書かれているから。
twitterを覗けば、みんな経膣分娩あるあるで盛り上がっているから。
ママ友で集まれば、経膣分娩の人の方が圧倒的に多く、お産の思い出となればまず経膣分娩の話が始まるから。
陣痛を経験しないと愛情が芽生えない、なんて意見もまだまだ見かけるから。帝王切開は楽だ、なんて信じていて言う人もまだまだ多いから。

皮膚を切り、筋肉を切り、子宮を切り、帝王切開が楽なわけなんてない。
経膣分娩のつらさは陣痛からお産にかけてがピークだが、だんだんと楽になっていく。帝王切開のつらさはお産そのものにはないが、だんだんと強くなっていく。
麻酔が切れてくるにつれおとずれる傷の痛み、吐き気、後陣痛。表情筋を動かすだけでも下腹部に響くらしい。水すら飲ませてもらえず、食事もシャワーも数日後から。
産後数ヶ月は引きつるし、傷痕は一生消えない。

救ってくれた一言として、コウノドリの「帝王切開だって立派なお産です」というのがよく挙げられている。
が、私にはそんなの全然効かなかった。そこにはそもそも悩んでいなかった。楽だね!と言われたことへの悔しさ、恨めしさが一番大きかった。

自然分娩は、ヒトだけでなくイヌもネコもみんなやっている。自然分娩では麻酔は使わない。なぜかって、耐えられる痛みだから。
一方、帝王切開では麻酔を使う。それだけ耐えられない痛みだということ。帝王切開の方が楽だなんてことは絶対にない。

唯一救ってくれた言葉は、うろ覚えだけれどおおむねこんな感じだった。ぼろぼろな気持ちでネットの海を漂っていたら見つけたのである。
自分は楽をするわけじゃない。それを認めて肯定してくれるものがほしかった。なぜ経膣分娩より劣ることにされがちなのか、その理由が知りたい。

そして個人的には、帝王切開を「かわいそう」と言われてしまうのもとても嫌なのだ。
自分で落ちこむ分にはいい。自分で自分を憐れむのもいい。でも、人に憐れまれるようなことではない!と勝手にプライド高く思っている。誠に面倒なことに。

子に罪はないし、私にもきっとない。たまたま逆子で、たまたま低体重で、全部、たまたま!
どんなときも味方でいてくれる夫と胎動を支えに、来たるべき子との対面を楽しみに待っている。