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仕事の話【note再掲】

2016年の11月いっぱいで、妊娠を期に退職した。
就職したのは2015年の4月だったので、1年と8ヶ月間働いたことになる。
正社員で、職種は接客販売。文字通り、店頭での接客と販売が主な仕事だった。

大学4年の卒業間近、2月になっても就職が決まっておらず、明日から下の学年の就活が解禁される…というまさに2月28日に内定を得た会社。
元来の希望は出版社(編集者)だったが、何十社と落ち続けてその頃には毎日が絶望的だったので、救いにあふれた電話のように思えた。

私が通っていたのは音楽大学だった。企業に就職する学生は本当に少なかった。大学の就活支援制度なんてあってないようなもので、結局お世話になることはなかった。
企業理念や仕事内容、何よりそこで働いている人たちに共通するやわらかい雰囲気に惹かれて面接を受けた会社だったし、希望の業種ではないながらも、内定は本当に本当にうれしかった。
全裸で電話をとってしまい、隣にいた恋人(今の夫)と素っ裸で抱き合ってよろこんだ恥ずかしい思い出。

そして実際、仕事は楽しかった。
扱っていた商品が専門性の高いものであったため、会社がすすめる資格もとったし、接客すればするほど商品知識が頭に入ってきた。
ギフトか(↔︎ご自宅用か)、お祝いか(↔︎不祝儀か)、ご予算はあるか(↔︎天井なしか)、雰囲気のご希望はあるか(↔︎お任せご希望か)。まずはイエス/ノーで答えられる質問で攻め、少しずつお客様のご要望をうかがっていく。
あらかたつかめたら次は具体的なイエス/ノー、もしくはおしゃべりに入る。差し上げる目的、お相手の性別、年代、家族構成、好きなお色など。

実際、お買い上げの9割ほどはギフトだった。人の役に立つのは好きだったし、何十分もじっくりとお話しして一緒にお選びするのは自分の性に合っていた。
お客様は笑顔でお礼を言ってくださるし、ギフトの詰め方だって試行錯誤できた。何もかもがイキイキと楽しかった。

ただ、職場は常に人手不足だった。シフト制で、人が欠けるとまわらない仕組み。
1日最低3〜4人、それでまわしていくためには全部で最低6人のスタッフが必要だったのに、一時は社員2人+パート1人の計3人しかおらず、上からの手配もなかった。
シフト組みの段階で社員が31連勤になってしまい、大慌てで他店からのヘルプを要請したこともある。

そして、体力的にきつい。
店舗なので、世間様の休日は俄然稼ぎどき。
一般企業でいう年末年始休暇、GW、夏期休暇などは当然なく、人手不足を理由に有給休暇すら上に却下され、満足に取得することができなかった。
2連休は月に1回あったら多い方。そのため月8日の休日は3〜4日おきくらいでやってくるのだが、疲れているためおおむね寝て過ごしてしまう。
フリーランスの夫に休日を合わせてもらい、お出かけの予定は2連休の1日めに入れるなどしていた。

駄目押しとして、非常に薄給。
納品物の検品や棚卸で退勤が24時を越えたって、残業代は1円も出ない。
ある期のボーナスは全社員8千円だったし、毎月の手取りは15万円。
私は卒業・就職と同時に結婚していたからいいものの、一人暮らしだったらいったいこの額でどうなってしまっていたのかと思う。

そうして暗い面は挙げたらキリがなく、仕事が楽しくなければ絶対に1年8ヶ月間は続かなかった。
楽しかっただけに、実は退職か休職かで少し迷った。が、結果的には以下の3点が決め手となり退職を決意した。

①会社規約に載っている結婚休暇を取得できなかったこと。
②産休育休制度の利用実績が0人だったこと。
③制度を使い、子どもとの時間を削ってまで働きに戻れる職場であるとは思えなかったこと。

特に③は大きい。せめて子どもが幼稚園に入るまでは一緒に過ごしたいという気持ちが強かった。
専業主婦である母がそうしてくれていたことの影響もきっと強い。
世の中には「お母さんはお前のために仕事をやめたんだよ」と言い聞かせる母親がいるというけれど、私は絶対にそういったことは言いたくないと思った。

お母さんは、自分がやめたかったので仕事をやめました!やめたら生活を楽しむ余裕が戻ってきました!しあわせです!
子どもに胸を張って言えるような母親になりたい。